世界に誇る「おもてなし」は「クレーム」の進化のおかげ
東京オリンピック誘致の際に話題になった「おもてなし」。
日本人の「おもてなし」は素晴らしいと思う。
一方で、「おもてなし」を誇り過ぎることは辞めた方がいいとも思う。
物事にはライバルがある。
例えば、野球において、ピッチャーが170kmのボールを投げる時代が到来したとする。
そうなれば必然とバッターは170kmのボールを打ち返すため、研究し、努力し、技術を高め、そのうち打ち返すことができるようになるはずだ。
同じように、「おもてなし」は「クレーム」というライバルに対抗するために進化をもたらしたと考えられなくもない。
日常生活(お店や、仕事中など)の中で、
「いちいちそんなことにクレームつける???????????????」
って場面に遭遇したことはあるのではないでしょうか。
「それぐらいいいじゃん!」って思うことも、クレームをつけられると、まずはお詫びし、そしてクレームをつけられないように対抗策を講じてきた歴史の積み重ねが「おもてなし」を創ってきたのかもしれません。
逆に海外に訪れた際に、店員の愛想のなさに驚いたことはないでしょうか。
あくまで推測ではあるけれども、愛想がなくてもクレームをつける人が少ないからではないでしょうか。
「おもてなし」を誇るためには、「クレーム」についてとことん突き詰め、排除していくことも大切といっていいのかもしれません。